どうしても染めたかった金色の赤光が鍋底にあった。
緋廣金色・ヒヒイロカネ色。
ヒヒイロカネとは伝説の金属、太古日本で様々な用途で使われ、
三種の神器もこの金属で作られていると。https://matome.naver.jp/odai/2133692547764717501
火炎のゆらめきにも似て朱くかがやき、けっして、 錆びることのない金属。比重は金よりも軽く、その純粋な物は鉄よりも柔らかだが、合金すると、プラチナよりも硬くなるという、まぼろしの金属ーそれが、ヒヒイロカネである。
ヒヒイロカネで造られた茶釜で湯を沸かすと、木の葉数枚の燃料で湯が沸騰するというのである。
このヒヒイロカネは、カカコノ山で産出したという。
こういった金属が、伝説のアトランティスにもあったという。
それは、炎の金属ともいわれ、特異なエネルギーを放射したという。
近年のことだが、あの有名な宗教教団がこの伝説を信じ、岩手県の遠野町一帯の山中を探しまわっていたという話がある。出典
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/hon/no01/part1/01-03takeuchi.htm
今年は何色か染めた朱赤色。
真紅ではなく、朱赤色でも何か癖のある、ストールの表面から黄金色が感じられる朱赤。
今日も、その緋廣金色・ヒヒイロカネ色を染めた。
何か不思議なコードが含まれているような。
今までも朱色はなんども染めてきた。
けれど、何か、一つ主張している一筋縄では行かない朱色を求めていたようだ。
これが、私の色なのだと。自分を見る。
umu-waka時代の朱赤色は、
師匠の大島紬染色家・生多良が人生の中で見てきた色。
感じてきた色。生多良の細胞の中にある色酵母から生まれた色だ。
上品で日本の貴和な着物文化の中にある朱赤色。
デパートに出店している時は、お客様からもデパートの方々からも
こんな美しい赤色のストールは、売り場にはなかったので、この美しい赤色を
常時置いて欲しいとよく言われた。
waka-nuditéになって、私の濃い色を自由に思いのままに染めるようになって
つくづく、きれいに治まりたくない色を作りたいんだなと確信する。
それは、私自身の色酵母。
私自身が、生まれてから見てきた色であり、その感性。
その感性は、どれだけ、自身の角膜に色を写してきたのかで変わるようにも思う。
海外旅行の旅先で見たガラスや街の色や洋服。太陽の色もそうで、
そして心が体験した喜怒哀楽、そのコミュニケーションだったり、
自身の中で消化した心の色であったりする。
染めながら、ふと思う。
三つ子の魂百までというが、
生まれ育った環境は、大きく関係していると思う。
そんなことを思い出したら、母親に感謝の思いでいっぱいになった。
今日のお昼ご飯のお寿司。もっと高い寿司定食をご馳走すれば良かったなと。
母親を大切にしようと改めて思った。
私の母は、自宅で注文服のサロンを営んでいた。
街のお金持ちの奥様のお客様が多く、家には、外国製の色とりどりの服地や
ミシン糸、まつり糸、ボタンにファスナー、裏地、ファッション誌が多くあった。
母に連れられ、街の服地屋に行き、上の階にある高級服地売り場へと。
今でも脳裏にある外国製の美しい絹の柄の布たち。
そして、そんな高級服地のあまり布で私の洋服も仕立てられていた。
私の初めてのお使いも、街の手芸店・ヨシダボタン屋まで、糸やファスナーを
買いに行くことだった。
「この布に合う糸を買ってきて!!!」
上級社コースのお使いは、柄物の洋服布地を持たされてミシン糸やファスナー
を買いに行くこと。英才教育ですね。
また、街の紡績工場で働く若いお姉さんたちが、母に洋裁を習いに週に2回ほど
来ていたので、華やいだサロンだった。
そのサロンで、私は5歳からミシンを踏んでいた。
私は、幼い頃から、良い色を布地を通して色をたくさん見てきた。
私の角膜には、たくさんの美しい色が記憶されている。
社会人になってデコレーター(ディスプレイコーディネーター)となって、
ブティックやデパートで洋服をコーディネートしたり、家具インテリア、食品まで
売り場やデョーウィンドウをディスプレイした。
百貨店では、4階のフロアーのインテリア売り場からランチョンマットを借りて
2階の婦人服売り場でマネキン用の洋服を借りて、地下の食品売場から
その洋服の色と同じパッケージのお菓子を借りてディスプレイ。
お菓子のパッケージの色、洋服の色を全く同じ色を借りてくる。
見極めるというか、その色の記憶力も、そこで鍛えられた。
社会人になってからの仕事しての経験の中に
フラワーアレンジやオブジェ制作は、建築を営む父の工場で制作。
大工の父の影響も大きい。
壁紙の色、ペンキの色、タイルの見本帖。
まだまだ今宵は染めたかったはずが
緋廣金色を染めていて気づいたことで、
いっぱい感謝が溢れてきて、染めが止まってしまった。
そして緋廣金色・ヒヒイロカネ色のお話も、
また、後日いたしましょう。
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