自然が伝えることと、人間が伝える情報の恐怖


歴史的豪雨。アトリエ前の木曽川も本日は、やっと落ち着き始めたようで

まだ濁った川面を、川鵜の夫妻が仲良く泳いでいる。

今年初めての入道雲と青い空と、まだ濁った川の色との違和感は

手放しでは喜べない季節の変わり目。



今回の豪雨は3.11を思い出す。

各地の被災地に早く平穏が戻ることを祈ります。






私の住む東海地区、特にアトリエ前の木曽川上流の村は、

今回の歴史的豪雨がニュースで放映される前に、第一弾の豪雨があり、

土砂崩れの影響で川の水が黄茶色く濁り、川の水量が激しく増えた。

只ならぬ何かを感じながら、


週末の予定もあるので、TVニュース天気予報や、気象庁のページなどを

少し前から気にして見ていた。


私の週末の予定は、

木曜日に友人の、大切な人の出版記念パーティー@名古屋

金曜日からは、岡山、高松、高知、神戸の山間へと続く旅。
と、7月のメインイベント。




出版パーティーの当日。
お祝いモードで出かける準備をしていたら大雨になった。

アトリエ前の木曽川は、昨晩の上流での豪雨と土砂崩れで茶色に濁った川の
流れが、更に激しくなり、あっという間に、川の水位が上がり、
川辺の遊歩道が消え、川の水も大きくうねり出した。




昨年の集中豪雨の時の恐怖が蘇る。

川の対岸の犬山城の鯱鉾への落雷、彩雲橋危なし!!!

そんなことを思い出していたら、テレビのニュースはアトリエ前での中継。



去年の中継も同じ場所。

それとともに、昨年、友人が名古屋へ向かう幹線道路で、冠水を逃れようと

右往左往していた時にアップしていたSNSの動画や写真を思い出す。

また、今から私が向かう名古屋の中心部、栄の交差点で車が冠水した友人のことも

思い出す。名古屋栄地区のハザードマップをネット検索していると、、、

昨年、自宅近くで起きた土砂崩れを思い出す。

自宅は、土砂崩れハザードマップの警戒地区でもあった。

自宅には高齢の母と、ニャンコ2匹。

もしや、今は、避難準備をする時なのか?


ますます水位が上がっていく。

川のうねりも激しくなり、大きな龍が体をくねらせて暴れているような。

もしやこの景色を間近に見ている私だけが恐怖に慄いているのか?

パーティの幹事さんに電話をすると、その温度差に自分を疑う。

SNSにあげた動画に心配して京都の友人から電話が入る。

京都も鴨川がすごいことになっている。友人は言う。wakaちゃんの直感が正しい。と。

それで、泣く泣く名古屋での出版記念パーティーを断念して、自宅の避難準備。


非常袋は地震を見越して、家屋倒壊しても取り出しやすい場所、

1階の勝手口のドア付近に置いてあったが、中の非常食の缶詰のパン屋炊き込みご飯が、、、、。

母が食べてしまって空っぽになっていた。

ニャンズの非常用の水分が多めのレトルトパックも、母がニャンズに食べさせてしまって

そちらも空っぽ。という結果だった。


土砂崩れの場合は、2階に避難した方が良いとニュースは伝えていたので

今度は、2階に非常袋は置いておこう。そして母教育。。。。。と見直し。





自宅に戻り、唸る木曽川を離れ、母や猫の顔を見ていると落ち着く。

たま子も、非常用にしまってあったヤギの粉ミルク缶に顔をツッコミ無礼講〜。

よしよし。


しかし、週末にかけて、ますます雨は凄くなると。

高齢の母にニャンズ2匹を残して、出かけるには不安だったので

岡山入りする日を1日遅らした。そしてその遅らした日に岡山が集中豪雨。

1日遅らして出かける日には、新幹線も止まっていた。


岡山、高松、高知、神戸山間部。

向かう予定の全ての土地が集中豪雨で被災地となっていた。



しかし、

テレビの被災のニュースや、鳴り続ける非常警戒を知らせるアラーム。

SNSの投稿。情報収集も、避難準備も心労が半端ない。


恐怖や悲しみフォーカスして心労が激しくなったり、うつ状態になる状況は

3.11の時にも、たくさん見てきた。

3.11の時は、震災が起こった3日後から松山の百貨店でストールフェア

1週間。その後も新潟へと続いたが

報道に心を病み、うつ状態になったお客様をたくさん見てきた。


今回、岡山の友人も同じように気を病んでしまった。

そう思うと、3.11で被災された方々には、このTV中継を目にすることは

厳しすぎることではなかったのだろうか?

恐怖の記憶から恐怖を反復させる。




3.11の時に何を学んだの?

と問われているように感じる。


そして自然と直面している今の私の環境。

ほんの少しの何かが変わるだけで、自然は予兆を知らせる。

目に見えての変化もあるが、水のパーツ1つでも、

空の雲一つでも、ほんのDNAレベルかもしれないが、

自然は、退化してしまった私たちに、そのことを伝えてくれている。


私たち人間も自然の一部であると。



waka-strala

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