Half of 2018 has passed


今年も半分が過ぎました。

本日は、産土神社の針綱神社さんへ朔日参りをし、夕方は城下町まで出て

贈り物を買いに行き、城下町名物の五平餅を。閉店間近、最後の1本でした。

本日は、天赦日&一粒万倍日でもあり、幸先良く。

2018年後半を透明感溢れる時でありますようにと。



昨日は6月30日大祓。

歯医者さんの後、緊張感をほぐすためにと、幼なじみを誘ってファミレスへ。

午後三時入店、閉店の午前0時まで9時間の滞在となり自身のギネス。


幼なじみのK子と私は、プチ?介護仲間で、

頑張り過ぎて、そのストレスで自身の体に不具合が出てしまった二人。

数十年離れて暮らしていた母と二人暮らしの「サシ」の生活は厳しいものでしてね。

お互い限界ギリギリまで行き、色々と試行錯誤しながらの4年。


三歩進んで〜♪〜二歩下がる〜♪の歌ではないのですが、

介護は、焦らず、一歩進んで〜四歩下がる〜!!!


介護経験の長かった90歳のおばあちゃんからのアドバイスの言葉に納得の大笑い。


9時間のファミレス大祓。

9時間のおしゃべりは、幼い頃の自分たちの様子から未来のお話まで。

その長い長い時間の中に、驚きの発見やアキラメと夢。


長い時間のおしゃべり大祓のおかげで、私たちは真夜中の街をスキップをして帰りました。




高校時代、真由美ちゃん、可哀想過ぎたもんね、お母さんからの、、、。

と彼女からのポロリで発覚した、自ら消し去っていたその記憶。


今に始まったことじゃなかった厳しい母娘関係性。

そりゃ、うまくいかなくって当たり前だ。


K子も教師の家系で育った。おじいちゃん、おばあちゃんも教師だった。

良い子、家、優等生でいる必要があったが、その鬱憤が弾けて家出した中学三年。


私は、養女でもあり気遣いと遠慮の子供。

また母が仕事をしていたせいか家事がおろそかになっていたので

小学校の頃から、家族の健康を害さないためにと家事をする良い子だった。

意思疎通なく、「あなたはできない子!!ダメな子!!!」と母からの信頼なく。


二人とも家の中に自分の居場所がなくて、深夜放送の洋楽に妄想したり

二人で家を行き来し、泊まったりして真夜中の妄想。

そして芸大を目指していた彼女と、ファッションを目指していた私は

カラーチップや色鉛筆を何本も並べて、色の配色で先生や友人を現して

遊んでいた。



厳しい家庭環境は、妄想や創造力を鍛えたのだろうと思う。

しかし、自分で、自らが抹殺してしまっていた「厳しい記憶」には驚いた。

そういえば、もう一人の幼なじみも、私への同じような記憶があった。

まぁこれは仕方がない!!!

この家庭環境が自身を強くしたんだと思った。


しかし、 生まれる前に、自身が仕込んだ今世のシナリオ、障害物競走。

仕込んだ自分に、時間軸の向こうの自分に言う。あっぱれ!!

そして生還してるよ!と伝えたい。


そして、誰も悪役演じる人生したくないのに。ありがとうと魂に伝える。


しかし、

衝撃過ぎて眠れず朝となった。オーラソーマ・カラーボトル・レスキューオレンジ塗って

ケア。 これで不具合も少し位は緩和されるんだろうな。


そんな2018年大祓。


さて後半、充実させましょうと。


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