令和元年7月7日
waka-nudité七夕鵜飼色祈願宴@名鉄犬山ホテル。
長年の夢は、お集まり頂きましたみなさまのお陰様で叶えることができました。
誠に誠に、本当にありがとうございました。
折しも、今年は会社設立10周年。
会社設立から毎年、何か大変なことが起きて、一度も節目のイベントを開催することが
できませんでした。
そして5年前に故郷の犬山に戻り、アトリエ前の木曽川で毎年繰り広げられる鵜飼を
見ながら思っていたのは、鵜飼船を貸し切って、全員でうちのストールを色とりどり纏い、
木曽川の風に靡かせたい。
そして、私が育った町内にあるホテル、昭和38年12月設立の犬山のランドマークである
犬山ホテルは私と同級生。その美しい歴史あるホテルで、ストールのイベントをしたい。
しかし犬山ホテルは、来月、8月31日に閉館する。
今年がラストチャンスということが背中を押し、今回のイベントを企画しました。
そしてお集まりいただいた皆様のお陰様で二つの夢は現実になりました。
たくさんの方々の思いやりや、ご好意、
そして、お空の神様の計らいは奇跡の連続のようで。。。
宿泊組、日帰り組さん。
仙台、東京、京都と遠方からのお客様も多く、
7月6日〜8日。最終日は針綱神社へご祈祷&トリエ。
最終日の夕方、ホテルへご挨拶に伺った後、体が震えだし発熱で
10日間と少し、寝込んでおりました。
6月のExhibitionに向けて4月から緊張集中モード、Exhibitionから戻ってからは
そのまま七夕の仕込み。慣れない事務仕事は、気がつくとオーバーブッキング。貸切船の定員は30名。直前まで悩んでおりました。
そして、お天気はどうかしら?と悩みは続く。。。
また心を綺麗にしてから七夕短冊を染めようと
自身とワークショップ。
ノミの心臓だったせいか。。。
胸や眼球まで。。。
お天気の心配〜
去年の避難するか?な濁流が脳裏に残り心配ばかりしていました。
鵜飼は、開催地の犬山が晴天でも上流が大雨であれば木曽川の水かさが多くなり
中止になります。上流の天気、現地の天気予報とにらめっこ。
開催日の1週間前の予報は、南に生まれた小さな台風の影響で雨予報。
鵜飼が中止になった時は、どうしよう?と、
余興用にとキーボードを出して、10年前にライブで弾き語りをしたTHE ROSEを練習し
たり、20年前に習ったタップダンス。タップシューズを取り出したり。。。
最後は、雨が降っても私が天の川になれば良いと決め、
ワンピースに銀彩で天の川を描き始め、気づくと新作の真菰染のストールにも
銀彩で描き始め、新作のストールがさらに増え始めるという。。。gift。
究極の集中モードへ入ると、こんな意図しない新作が生まれるものですね。
でも、この10年、ずっと染めたお洋服を出したい!
銀彩、金彩、金箔のストールを作りたいと思っておりましたので
このひょんなキキカケで、作りたかった物の試作ができたということで
願いは七夕の前から叶っていたのですね。
そして
自分の中の心も綺麗にしたら雨は止むのではなかろうか?
感情は水に例えられます。
この大雨も浄化の大雨のような気がして。。。
なので6月末からは、泣いてばかりいました。
しっかりと浄化が終えたと確信した日。
短冊を染めました。
凝り出してしまう癖。
短冊をぶら下げるためのコヨリまで染め始めたり
短冊の穴も、ハートだ月だ、幸運アイテム蹄鉄柄の穴と。。。
これはきっと
盛大な大人の遊びなんだ!!!
トコトン仕掛けてしまおう!!!と
そうそう
短冊を飾る笹竹は、色々と悩んだ結果
3mの長さの物を地元のお寿司屋さんのご自宅の庭にあるものを4本、
頂くことになりました。
お寿司屋さんへのお礼は、七夕という名の芋焼酎。七夕にこだわります!
そして3m超えの笹竹を4本、うちの小さな車に積み
車から降ろそうとすると、近所の仲良しさんと偶然遭遇し
アトリエの部屋まで運んでもらいました。
それから剪定をして、竹を磨こうとしたら、一番枝振りの良い笹竹が
1本だけ綺麗に磨かれていました。
竹を磨くには、金タワシで洗いオガクズで磨くという面倒な仕事。
仕事が細かい寿司屋の大将の思いやりです。
トコトン遊ぶ!!
ということで、雨の日はこの大きな竹2本を、お客様と皆んなで仕上げようと
笹飾りをこさえ始めた前日でもありました。
そんなこんなで、ほぼ7月に入ってからは、毎日2時間睡眠。
そして宴前日は、大好きなアーティストがTVに久しぶりに出演ということで
早めに私の彦星様と会い、録画を何回も繰り返し見ていたせいで興奮で眠れず...。
当日の朝は、アトリエでお客様の色のお見立てをして、
お友達に手伝っていただき、大慌てで名鉄ホテル入りをした午後2時でした。
肉体的にも精神的にも、こんな状況であれば
そりゃ、本番が終わったら寝込みますよね。
夢だった景色が目の前に繰り広げられているのに、余裕なく当日もしておりましたので
実感していなかったような。
でも、長くゆっくり眠って復活し出して、七夕鵜飼の宴の写真を整理しだすと
余計に味わい深くなります。
当日も、ストールを始めた初期の苦難時代から手伝ってくれているKAYOチャンは
私の代わりに感極まって泣いていました。
なんだか
10年の経を辿りながら、七夕鵜飼の宴の写真を見ながら
改めて感謝の思いでいっぱいになりました。
明日はホテル入りをしてからの足取りをアップします。
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