薔薇紅色・barakurenai-iro
今週末は札幌でのExhibition。
札幌といえば薔薇紅色マダムの言葉を思い出す。
60才になって、初めて自分が女性に生まれてきて良かったと思う恋をしたの。
いくつになっても、恋はし続けるべきよ。
年なんて関係ないの。
いつかはきっと、本当に愛する人と出会えるから 絶対に諦めちゃ駄目よ。
これは2011年5月、札幌の老舗百貨店でのストールフェアで出会ったマダムの言葉。
この頃は、waka-nuditéの前身、umu-wakaをスタートし始めた頃で、全国の百貨店を中心に
出店していた頃。ストールとともに、大島紬も展示して大島紬を後世に残すと、大島紬ならではの
染めのお話をしながら使命に燃えていた頃です。
大島紬を見かけ、大島紬との思い出のお話を私にされるお客様が何人かいらっしゃった。
この日も入り口近く、行き交う人が多い場所での開催。
平日のゆったりした朝に、最初にumu-wakaブースに来られたのは、桃色マダム。
髪に桃色のシュシュ。お洋服はフリルがたくさんついた桃色コーデの70歳代のマダム。
可愛らしいいマダムは、夫とのLOVEラブな話。まるでお花畑の少女のような桃色マダム。
そこへ薔薇紅色マダムの登場。
シンプルでベージュのパンツスタイルなのに、口紅だけが「薔薇紅色」と印象的なマダムだった。
薔薇紅色マダムは、 ディスプレイしてある薔薇紅色のストールを手に取り、「綺麗な色ね〜。」と。
そして桃色マダムと恋愛談義となった。
薔薇紅色マダムが 60才になって、初めて自分が女性であるって思う恋をしたの。 と。
そして薔薇紅色マダムは、自身の壮絶な人生を語り始めた。
マダムは、生後10ヶ月後、お父様が亡くなられたと。
その後、パパ父に虐待を受けて育ったと。
そして結婚をしてからも、夫からのDVが続き、 いつ死んでもおかしくない日々だったと。
辛い時は、幼い頃に亡くなったお父様の 形見の茶泥大島紬を握りしめていたと。
(マダムは大島紬と薔薇紅色に自身が重なって、うちのブースへと寄られたのだろう)
その後、数年前にDVの夫の介護を経て、一人になり、ほっとしたが、
DVの夫との関係を見ていたせいか、お嬢様は30代後半になっても男性を遠ざけて、
恋愛経験さえなく もちろん結婚願望さえないことが気がかりになったと。
しかし薔薇紅色マダムが、 「60歳になって、初めて女性で良かったと思える恋をしたの」と。
そして亡き父の茶泥大島紬が私の命を守って、そして私を恋に導いてくれたの。と。
そして薔薇紅色マダムが、初めて女性で良かったと思える恋をしたその後、
お嬢様は42歳でお見合いをして結婚されたと。
薔薇紅色マダムと、そんなお話をした次の日、
お父様の形見の茶泥大島紬をリフォームしたブラウスとCDを持って会いに来てくださいました。
近くのCDショップで、わざわざ購入して持ってきてくださった山内恵介さんのCD。
初めて女性に生まれてきて良かったと思った恋する相手は
演歌歌手の山内恵介さんでした。http://umu-waka.jugem.jp/?eid=562
生後10ヶ月で実父を亡くし、パパ父の虐待を受けた時に、実父の形見の茶泥大島紬を
頭から被り自身を慰め、その茶泥大島紬をリフォームしてこさえたブラウス。
その茶泥大島紬のブラウスを着て、山内恵介さんのファンミーティングに行った時に、
「まあ素敵なブラウス。」と言って、山内恵介さんに抱きしめられたと。
他の人は、誰も抱きしめられていないのに、茶泥大島紬のブラウスを着た彼女だけが
抱きしめられたと。
その時、初めて女性に生まれてきて良かったと思ったそうです。
60才になって、初めて自分が女性に生まれてきて良かったと思う恋をしたの。
いくつになっても、恋はし続けるべきよ。
年なんて関係ないの。
いつかはきっと、本当に愛する人と出会えるから 絶対に諦めちゃ駄目よ。
数年後、年末の紅白歌合戦初出場!と山内恵介さんを初めてテレビで見た。
薔薇紅色の衣装を着たダンサーに囲まれた王子様のような山内恵介さんだった。
それぞれの色には、こうしてたくさんの物語が生まれる。
人それぞれの色物語を伺うために全国行脚をしていたように思う。
その中でも、薔薇紅色・barakurenai-iroマダムのことは大きく心に残っている。
6月8日(土)&9日(日)12:00 ~ 19:00
鴨々堂ギャラリーhttp://kamokamodo.com/
札幌市中央区南7条西2丁目2
(地下鉄南北線:中島公園駅 徒歩2分、地下鉄東豊線:豊水すすきの駅 徒歩3分)
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