枯淡桜茶・kotanoucha 〜桜に

枯淡桜茶・kotanoucha 薄桜香茶色・hakuoukoucha-ro  桜香茶色・oukoucha-iro 



桜の木々は、花を咲かせる前のこの時期 幹、枝々は桜の花色を含んだ茶色でいっぱいになる。

溢れんばかりの生命力は節々に、そして桜の木に共存する苔たちの 緑も光が強くなり、

桜の木から放たれる目に見えないエネルギーのようなオーラのような「そのもの」は

町を山を世界を 芽吹の春の生命力を与える。


しかしながら、その溢れんばかりの桜の木々の全体の中に、

薄グレーのピンクの中に枯れ枝 が静かに美しい。


花が咲く前の桜並木を遠くから見る美しいグラデーションは、

若い枝たちに命を託した古枝の命の美しさが ある。心を打つ美しさは、

その陰影を写しているからだろうか? 

枯淡桜茶色(こたんおうちゃ)は、その美しさを染めた色。


枯淡桜茶色を含んだグラデーションの桜並木



一の実のしづかに枯れてをりにけり/


日野草城(ひのそうじょう)が詠んだ俳句を思い出す。 

受け継ぐ事、受け継ぐその世界観を感じたりもする。

枯淡の境地。  


そして2008年に見た山口伊太郎の源氏物語絵巻の錦織展の時を思い出す。 https://info.linkclub.or.jp/nl/2004_1_2/yugou_sinka.html 枯淡の境地とは、よく耳にする言葉ですが、 枯淡とは、 柄・性質などがあっさりしていて、しつこくないこと。世俗的な名利にとらわれないで、さっぱりしていること。 また、そのさま。「―な(の)境地」 俗っぽさがぬけ、あっさりとした中に趣があること。また、そのさま。 と辞書には記されています。 


枯淡桜茶・kotanoucha 



 人も同じなのかな。と年を重ねた世代の会話や日常の行動や暮らしと重なる。プライベートでは母のこと、 そして仕事のことも重なります。いや、今まで、その枯淡の境地の視線で「こりゃ大変だ!」な事態も編集というか クリエイティブに変換させて、色やモノを生みだしてきたのかもと、この句読点の時期に思う。 すべて有り様のまま。 すべて有り様のまま。 受け入れるだとか、無条件の愛をとか、マジナイの言葉なんて言ってられない現実もあったりしてね。  

ただ有り様のままでしかない。ただそういうこと。 

 仕事も家庭も同じキーワードの中にある。 



枯淡桜茶色の中には 人間の試行錯誤、

小さな智慧や悪あがき、小手先が及ばない「自然の摂理」を見せられる。 


 自然の中の粒子の一粒が、私であり、誰かれであるものと。 新たな世の摂理の中での粒子。 


 今までの本能とは別の「その本能」に委ねよう。 

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