名古屋の老舗百貨店・丸栄が6月30日に閉店する。
写真は、東郷青児が描いたエレベーターの扉。
建物自体も、丸栄本館は戦後日本を代表するモダニズム建築家、村野藤吾氏(1891~1984
年)の設計で鉄筋コンクリート造り8階建て。53年、戦災に耐えた前身の百貨店を増築する形で完
成し、その後も3度にわたり増改築。53年度に日本建築学会賞(作品賞)を受賞。
私は
大学生の頃、この丸栄百貨店に隣接する、丸栄スカイルというファッションビルの洋服屋さんで
アルバイトをしていた。
休憩は丸栄百貨店の社員食堂。スタッフは、お客様用の東郷青児エレベーターには
乗ることが許されず、社員用の薄暗いエレベーターに乗って社員食堂まで行った。
また近隣するニュー栄ビル、栄町ビルは、当時でさえ、レトロ感いっぱいで、
そのレトロビルの飲食フロアーのジューススタンド、お好み焼き屋、喫茶店で
休憩をしたあと、レトロな古着屋さんやクセのある洋服屋の友達とおしゃべりをした。
その当時からレトロだったビル郡も、丸栄の閉館に伴い解体される。
ハウスマヌカンという言葉が世間に話題になる、それ以前。
お洒落番長達がいっぱいいた。
友人も憧れの姉さんやお兄さんがいっぱいいた。
皆んな、今は何処にいるんだろうか?
私が大学に入った頃は、DCブランドブームが始まった頃だった。
日本のファッションが、洗練し始めた頃だったように感じる。
私は、丸栄スカイルにあったお洋服屋さんで、一ヶ月、毎日アルバイトをして貯めたお金は、
DCブランドの靴¥40,000ー。セーター一枚が¥30,000-とかで消えて行った。
35年前の頃なので、物価を考えるとその倍ぐらいの金銭感覚か?
そう思うと、その頃から着道楽だ。
nicole BIGI Y's コムデギャルソン MOGA madam nicole
その頃を思い出すと、
モノノ怪時代のように感じる。
中学高校と地元で送り、大学に入り都会の名古屋。
その都会の名古屋が、また世間の変わり目、ファッションの変わり目を迎えた 時代だったから、
全てが新鮮だった。 カフェバーとか、お洒落な飲食店が、出来始めた頃だったから
お洒落も、お洒落に向けるエネルギーも、一直線だった。
大学も、その当時には珍しい「ファッション産業課程」。
アパレル会社に企業研修で10日間ほど通ったり、その企業の専門家を講師だった。
ファッション・モノノ怪時代。
日本のファッションが始まりの変化時代。
その風が追い風となり、私もファッション・モノノ怪道を邁進。
授業を終えてからお洋服屋さんでアルバイトをして、家に戻ってから深夜遅くまで
ミシンを踏んで課題を仕上げ、毎日寝不足。
あの情熱根性が、今の私の基礎になっているんだろうな。
何もかもが新しく新鮮であり、味わい深い時代。
新しいものと、味わい深い歴史が混在する時代だったと。
あの空間がなくなるんだな。
美しい大理石の壁も、建築も、、、、。
そりゃ、もう、30年以上も前のことになるのだら新旧交代時代。
変わっていくんだなと。
懐かしさを清々しい空気を、手に取りながら
アルバムを取り出した。
憧れのN君の写真だって1枚もなくて。。。
ただ、成人式の時に丸栄の階段で撮った写真が1枚あった。今でも仲良しの大学の友人との写真。
地元の犬山で、市が開催した成人式を終えてすぐ、一人で名古屋まで行き
友人と合流して、アルバイト先界隈のお洒落番長達を訪ねたことを思い出した。
夜は、地元犬山で成人式を迎えた友人達との宴会の写真がいっぱいあったので
ほんの数時間、その当時の私のファッション聖地まで出かけたんだなと。
歴史的にも建築的にも素晴らしい建物の丸栄百貨店が消える。
この百貨店の閉館に伴い、
今は、手に触れることができない時間だけれど、
もう一つの瞳の奥で観る、その息づく時代は眩しくて。
また新しい時代を生きていく私たちの背中を押す。
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