色の相棒・加東 和 画伯が、一足先にアセンションされました



色の相棒、和ちゃんが亡くなった。

いつも東京でのExhibitionでは、開運女神の肖像画を描きに来てくれていた

加東 和 画伯が、6月13日に脳出血で旅立たれました。

突然のことで皆様も驚かれたかと思います。

謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。



和ちゃんと私は、同じ場所に同じ色を見る。不思議な共通点があったこともあり

また、スットコドッコイなオバカキャラも似ていて、

親友以上の色の同志であったからか、色の相棒が先に

急にアセンションしてしまったことが衝撃的で悲しみにまでたどり着くまでに

時間がかかりました。






昨日、facebookにアップされた投稿で知ることになったのですが、

衝撃すぎて、言葉が出ず、なんで急に逝くんだよ。逝くなら逝くでコップを落とすとか

わざとらしい何かで知らせなよ!!フランス料理をゴチするって約束!まだ果たしてないよ。

おいおい、それは、カリは返そうよ!!!なんでだよ!!おいおい!!と愚痴った後は、

後悔。和ちゃんの新しい生活が始まった街、その街自慢のフランス料理屋へ行く約束も、

小さな忙しさにかまけて、行けずじまいだったこと。3月の東京のExhibitionで会ったのが

最後になってしまった。

ヒッピー体質の和ちゃん。

あの時、大きい絵をオーダーしておけばよかった。とか。


昨日は愚痴りながら、そして本日は、やっと悲しみでいっぱいになった。

自分自身で折り合いがつかなくなったので写真を整理した。

昨日はお通夜、本日はお葬式と自身の中で折り合いをつける。


先にアセンションしたんだから、そちらの美味しいお店とか遊び場を調べておいてね。

そして、これからは物理的に自由になったんだから、

染め場に来て一緒に染めても良いし、Exhibitionにも、いつもの通り色選び

お客様の色のお見立ても手伝ってね。と。か。


少しずつ自身に折り合いをつけようと、

思い出をしたためてみる。






以前から、ずっとお互いを知っていたけれど、会うことがなかったけれど、

札幌でumu-waka Exhibitionをしている時に、歩いて2分ぐらいの場所で和画伯も

肖像画を描くイベントをしていた。


偶然、画伯のところと、umu-wakaを行き来するお客様が多く、

私がお見立てする色と、和ちゃんが描く開運女神像の色がシンクロする。

それも、「頭の右上に黄色がちょんちょんと出ているよ。」って私が言うと、

画伯の絵にも同じ位置に黄色があるとか。


お客様が、二つのギャラリーを行ったり来たりして、

「ピンポーン!当たり!!!」なんか、面白い答え合わせになった。


お酒も飲まずに、あほあほ遊び、ブルースを勝手にハモリ合う酔っ払ってない酔っ払い同士


それからは、東京でのumu-waka Exhibitionの時は、必ず画伯とセット。

週三回の人工透析を受けている画伯は、体調が優れない時も多かったけれど

いつも真っ青な顔をしながらも、階段で3階とか、2階とかまで上がって

来て、Exhibition会場の色をチャージ。この色で体が良くなると。

ほんと、うちの色を愛してくれた。




そして

私の代わりにお客様の色のお見立てをしていることも多かった。


同じ場所に、同じ色を見る。

この相棒感。そして安心感。


そして二人とも、小さなことに臆病になってみたり

和ちゃんは、いつもブログに


〜今日も余計な力を抜いて的当に^ - ^〜


って書きながら、繊細で、

お互いに、的当的当〜って言いながら

勇気付け合ったりしていた。


ただ、

お互いを見て

「阿保でいいんだよな〜!!!」

って笑い合う。



阿保阿保全開エピソード〜

武道館を満員にするライブをするプリンセスプリンセスのリーダーの敦子さんに

「ご職業は何ですか?」と、時間差で二人とも同じ質問をしていた(笑)




写真は、プリンセスプリンセスのリーダーの渡辺敦子さん。

2013年のExhibitionの時のこと。


光鱗亭のギャラリーの玄関口で、まずは私が、敦子さんをお迎え。

何処かでお会いしたような気がして、一緒に仕事をしたような記憶があって

と言うのも、TVで一生懸命応援していた記憶があったからだったんですが。

そう、東日本大震災の時にプリプリが支援ライブまでの道のりを何度も

仲間になった気分で応援してテレビ番組を見ていたから、一緒に仕事を

したように感じただけだったのですが、


私は、

武道館ライブで満員、人気の高いプリンセスプリンセスのリーダーに向かって


「ご職業は何ですか?」


敦子さんも真面目に思い出そうとしながら

「音楽関係です。」と。


ああ〜

どこかでお会いしてるんですね。きっと。と。






そして、その後、


和ちゃんも敦子さんに向かって


「ご職業は何ですか?」と聞いた。



敦子さんは、

「プリンセスプリンセスでベースを弾いています。」と。


和ちゃんは、

「ダイアモンドダネ〜♪」と敦子さんを前に歌う。


そして、YouTubeにアップした自分のバースデーライブで

歌ったボブマーリーの動画を敦子さんに聞かせるしまつ。



あとで、二人して

阿保阿保だったね。って大笑いした。



そうそう。

そのあと、私が50歳を迎えるので

ハーフセンチュリー・ライブをしようと言うこととなり、


そうそう、私も昔は、趣味でロックバンドのヴォーカルをしておりましたのでね。

敦子さんをベースに迎えて、プリプリを歌うライブをする企画が立ち上がりました。

敦子さんからも「OK!」をいただき、プリンセスプリンセスの楽曲を

敦子さんのベースで、他にも著名なミュージシャンを巻き込んで

私の50歳のお祝いハーフセンチュリーライブをすることが決まっていた!!


しかし、

私自身に大きな人生の転機、最大級の小説家ドラマのような出来事が起きて

結局、私は1年間、仕事をも休むことになったのですが、

ハーフセンチュリーライブは、流れたのでした。


よし!!

次は、還暦!!!ライブ!!

おいおい、和ちゃん、あなたが自分の還暦前に58歳でアセンションじゃん。

どうするんだい!!!





恋する男の笑顔はスペシャルだ!!



ま!

色々と人生にはあるものでして、画伯は4年前に独身になりました。

その経緯も、おいおい、巻き込まれてるよ。私。みたいな笑い話もあって

いやぁ〜、今、思えば、お笑いなサポートを何度かしていた私ですが、

もっともっと、サポートができたのにな。なんて思いながら、

その時の「貸し」をフランス料理ランチで返すと言う約束を果たさずに

逝っちゃった画伯ですが、いや、フランス料理は、3月3日の

マイセンのカツバーガーの差し入れでチャラになったのか?と思ったり。


いや〜

面目状の貸し借りで、それはそれで楽しいコミニュケーション。

バランスの悪さが愛おしい同士のアーティスト同士のコミニュケーションだったような。


そうそう

さておいて、

晴れて独身になった和画伯は、恋をした。


何かあるたびに、オノロケの電話がかかってきた。

そして、初めてのデートは、umu-waka Exhibition 2016's だった。


彼女とのお揃いのペアの璃璃紫色(りりむらさき)のストールを購入して、

ご機嫌のお写真を撮った。

私のスマホで撮った写真。素敵な笑顔の写真をすぐに欲しいと言う和ちゃん。

Exhibition中で、お客様の色のお見立ての合間に、和ちゃんに写真を送ったが

勘違いの写真を送ってしまい、和ちゃんは、泣きそうな小学生のように

せっついた。面白かった。



でも恋をすると、男もこんなに変わる!!!


可愛い、その笑顔は、その日のFacebookのタイムラインに

「私は、このように大変幸せです。」とコメントをつけて

アップをしていた。



最後は

あっという間に逝ってしまって


愛されキャラの和ちゃんを偲んで、facebookには、たくさんの方々が

画伯との思い出や感謝の想いを投稿されている。


私も、こんなに悲しくなるなんて思わなくて

こう、思い出を綴ることで、何かしら心に折り合いがつくのかと思い

今日は一日中、写真などを見返したり、facebookでコメントのやりとりで

心を落ち着かせて行った。


濃い顔男祭り〜ここはどこの国?シリーズの写真


なんか、

逝っちゃった感じがしなくなった。

アトリエで綺麗な色軍のストールたちを手に取り、きっとその辺にる

和ちゃんに声をかけてみると、「おおお〜イイ赤色だね!!」って聞こえてくる。


染め場に入ってみると、確かに感じる和ちゃんオーラ。

「俺も染めに興味があるんだ!!染めてみたい!!!」

そんな熱い想いを感じる。

これから、染めも手伝ってもらいましょうかね。


物理的に自由になった和ちゃん。

週三回の人工透析からも解放されて、体も楽になったであろうし

そのめんどくさい身体が、もうないわけですから。

確実に!!!今後、全国で開催されるうちのExhibitionにも必ず同行するはず。


昨夜は、お通夜気分。

今日はお葬式と称して、和ちゃんとの思い出を振り返るうちに

なんかね、寂しくなくなった。


後、何十年かそこらかは、わからないが、

私もそちらの世界へ行く。

それまでのお別れだ。まあ、お互い忙しくて目に見えないだけと言うことで

同じ感性の目を持っていた私たちだから、

同じようにチューニングしてみたら、そのテレパシーのようなもので

交信もできる。


そして

ありがたいことに、私の周りには、降霊のプロがいる。

和ちゃんとも顔なじみだ。

いろんな遊びができるじゃないか。

そして、そんな遊びをきっと、彼もしたいはず!!!


そう思ったら

面白くなってきた。


そして

逝っちゃった感がなくなった。



肉体を持って、この3次元での最後の写真はこれになっちゃったけど、

うん。


楽しくこれからもよろしくね。

そっちのこと、そっちの見える景色の色を

私のもう一つの角膜に送ってね。



とにもかくにも

私は、今、この3次元で肉体を持って生きている。

めんどくさいやりとりをしなくてはいけない日常。


感情だってめんどくさいことがある。

でも、どうも、まだ、この3次元で人間をしなくてはならないようだ。


なんだか、

よくわからないけど、ここんとこのストレスもちっぽけに感じてきた。


なんだかよくわかんないけど、

色の相棒、親友以上の同士が、違う次元に行くと

なんか、よくわかんないけど、何かこの3次元の価値観が変わったように思う。


うん。

ご冥福をお祈りします。って言うか、

楽しく虹の橋をスキップしてくださいって、共通の友人が言っていましたが

うん、虹の橋の色を15色ぐらいに塗り替えて遊んでね〜。って感じかな。


うん。

ありがとう〜!!!

なごむちゃん〜❤️


この青いストールも紫色のストールも恋愛成就のために買ってくれたストールだったね。

かっこいいよ!!!






waka-strala

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